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一筋縄ではいかない武将たち ⑥【竹中半兵衛】

2018/09/30
 
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信長と秀吉に嘘をついた天才軍師 竹中半兵衛(1544年―1579年)

竹中氏はもともと美濃・斎藤氏の家臣で、竹中半兵衛は大御堂城の城主である竹中重元の嫡男として生まれ、決して身分の低い家の出身ではありません。

のちのち織田氏の家臣である羽柴秀吉の躍進を支えた軍師であり、あの黒田官兵衛と共に「二兵衛(もしくは両兵衛)」と称されました。

二人は知将として知られていますが、官兵衛は戦況を把握して采配を振るうのを得意とした一方、半兵衛は軍師でありながら最前線で戦う豪傑で、剣術は皆伝の腕前だったとも言われています。

 

早熟の天才軍師 竹中半兵衛

早熟の天才だった半兵衛は11歳の時、父親の重元の不在の折に菩提山(ぼだいさん)城を襲ってきた賊徒を計略にはめて撃退。

さらに16歳の時には美濃に侵入してきた織田信長軍を「十面埋伏(じゅうめんまいふく)の陣」という伏兵戦術で攻撃し、退散させます。

そして1564年、21歳の半兵衛は、わずか16人(一説には17人)の手勢を従え、政務を顧みようとしない主君の斎藤龍興(さいとうたつおき)の稲葉山城をたった一日で占拠することに成功。

1570年には木下藤吉郎秀吉に説得されて織田信長の直参となり、やがて秀吉の与力衆の一人となって中国攻めや調略による備前八幡山城攻めなどで活躍しました。

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1578年、謀反を起こした荒木村重を説得するために黒田官兵衛が伊丹城に入城し、そのまま捕縛・投獄されたことを官兵衛の裏切りと誤解した信長は、その息子である松寿丸(のちの黒田長政)を殺せと命令します。

しかし半兵衛は仲間の官兵衛を信じ、殺したふりをして松寿丸を密かに匿いました。

信長と秀吉を騙した半兵衛ですが、のちに黒田官兵衛が無事織田側に戻ってきた時に、松寿丸の生存を知った父親の官兵衛はもちろん、過ちを犯さずに済んだ信長も半兵衛に深く感謝しました。

 

実際は半兵衛が二人の感謝の言葉を耳にすることはありませんでした。

なぜなら、以前から労咳に冒されていた半兵衛は休養をすすめる秀吉の心遣いを断り、陣中で36歳の短い生涯を終えていたのでした。

若くして病に倒れた天才の死を惜しむ人は今も絶えません。

 

 

明石 白(あかし はく)

ライター

愛媛生まれ、大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。CM制作会社(大阪)、フリーライター兼イベントプランナー(大阪)、広告代理店(バンコク)、国際見本市出展関連の会社(ロンドン)などの仕事を通じてコピー、イベント台本、イベント企画などの経験あり。得意分野は日本史、文学、不思議系や海外ネタ。趣味は日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること、路上生活者や移民の観察そして空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。

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