一筋縄ではいかない武将たち ⑧ | あかねいろ01

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一筋縄ではいかない武将たち ⑧

2017/09/22
 
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戦国時代の幕を開けた男 北条早雲(1456?年―1519年)

 

 

 

1590年に豊臣秀吉に滅ぼされるまで関東に君臨した小田原北条氏の祖、それが北条早雲です。鎌倉時代の北条政子、北条時宗らとは一切関係はなく、室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏の出身説が有力。実は、早雲生存の頃には伊勢盛時(もりとき)もしくは伊勢新九郎と呼ばれており(諸説あり)北条姓を名乗るようになったのは子の氏綱(うじつな)からです。

 

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1476年、早雲は今川義忠の急死による家督争いをうまく調停した功績などによって伊豆・相模国境近くの興国寺城を与えられました。

 

 

 

1491年、堀越公方足利政知が死去し、伊豆が家督を巡る内乱状態に陥った時に侵入し占領。一介の武将が将軍家の者を滅ぼすこの早雲の伊豆討ち入りこそ下克上の始まりであり、戦国時代の幕開けだと言われています。

 

 

 

早雲は自分に従う国人の所領の安堵を保障し、領民の年貢も軽減してその他の賦役も撤廃。職人たちに土地を与えて重く用いるなど徹底した領国経営で国を安定させました。

 

 

 

更に早雲は1494年の扇谷上杉定正をはじめとする有力武将の死を機に、小田原城主を継いだ大森藤頼と親しくしながら城内の動静を探り、藤頼の隙を狙って翌年あっさり小田原城を手に入れてしまいます。小田原でも善政を敷き、対外的な渉外力を駆使して北条家は力を蓄えます。

 

 

 

そして1512年、ついに相模で勢力を誇る三浦一族を滅亡へと追い込み、関東の地に北条氏5代100年の基礎を築いたのでした。生涯現役を貫いた早雲は、1517年まで実戦で活躍。1518年に家督を嫡男氏綱に譲ったあと、翌年87歳という長寿を全うしたとされますが、近年の研究による享年64歳説も注目されています。

 

 

早雲が1512年に鎌倉入城の際に詠んだ歌「枯るる樹にまた花の木を植ゑそへてもとの都になしてこそみめ」。枯れゆく木に花が咲く木を植え添えて元通りの都にしてみせよう、と戦乱で乱れた鎌倉の復興を目指す歌ですが、早雲長寿説を採れば、鎌倉復興の夢と81歳になってもなおもう一花咲かせようと自分を鼓舞する早雲とが重なるように響きます。

 

 

明石 白(あかし はく)

ライター

愛媛生まれ、大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。CM制作会社(大阪)、フリーライター兼イベントプランナー(大阪)、広告代理店(バンコク)、国際見本市出展関連の会社(ロンドン)などの仕事を通じてコピー、イベント台本、イベント企画などの経験あり。得意分野は日本史、文学、不思議系や海外ネタ。趣味は日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること、路上生活者や移民の観察そして空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。

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