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一筋縄ではいかない武将たち ⑬

2018/10/01
 
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一筋縄ではいかない武将たち ⑬

秀吉の天下を予言した僧籍大名 安国寺恵瓊(1537年?―1600年)

 

僧兵でもないのに戦う僧侶も存在したのです。僧でありながら大名の身分にまで達した戦のフィクサー安国寺恵瓊。清和源氏の流れを汲む安芸武田氏の出身と言われており、僧でありながら戦いに関わらずにはいられなかったのはその血のせいでしょうか。

 

遺恨を乗り越えて毛利家のために

1541年、毛利元就の攻撃により安芸武田氏は滅亡。落ち延びた恵瓊は、安芸武田氏の菩提寺・安国寺で出家後、京都の東福寺の竺雲恵心(じくうんえしん)の弟子となりました。

実は恵心が毛利氏の外交僧だったことから、恨みを棄て実利を取って恵瓊も家の仇である毛利家に仕えることになったのです。

 

一方、僧侶としての恵瓊はとなり、最終的には南禅寺住持の公帖(こうじょう)を受け禅僧としての最高位に達しました。

 

禅僧というより武将として

1582年の本能寺の変の直後、羽柴秀吉が信長の死を隠して毛利と和睦した時の毛利側の交渉役が恵瓊です。秀吉の天下が来ることを予言していた恵瓊は、交渉で毛利家滅亡の際には毛利家家臣を秀吉に取り立てを願い出るなど、彼を高く評価していました。

やがて、恵瓊は毛利家の外交僧の身分のまま秀吉の側近となります。そして僧でありながら1586年には6万石持ちの豊臣大名となる異例の出世を果たしました。

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小田原攻め、下田城攻め、朝鮮出兵にも加わり戦闘にも参加。参謀的活躍がメインとはいえ、その活躍は僧侶というよりは武将そのもの。

 

裏切りと死

しかし、1600年の関ヶ原の戦いでは、恵瓊の交渉で毛利輝元を西軍の総大将として担ぎ出すはずが毛利側からの徳川方への内応が原因で叶いませんでした。その上毛利の一翼・小早川秀秋の裏切りもあり、毛利家が西軍大敗の原因を作りました。こうなると恵瓊の立場がありません。

結局京都で捕縛された恵瓊は西軍の首脳の一人として六条河原にて石田三成・小西行長らと共に斬首されてしまいました。

 

仇であった毛利家に一貫した忠誠を貫いた恵瓊。関ヶ原不参戦の首謀者の汚名を彼一人が被ったために毛利家は減封のみで断絶を避けられた、と言えるかもしれません。

 

 

明石 白(あかし はく)

ライター

愛媛生まれ、大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。CM制作会社(大阪)、フリーライター兼イベントプランナー(大阪)、広告代理店(バンコク)、国際見本市出展関連の会社(ロンドン)などの仕事を通じてコピー、イベント台本、イベント企画などの経験あり。得意分野は日本史、文学、不思議系や海外ネタ。趣味は日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること、路上生活者や移民の観察そして空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。

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