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一筋縄ではいかない武将たち ⑭

2018/10/01
 
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姫若子から鬼若子への転身で四国制覇 長宗我部元親(1539年―1599年)

 

 

最近は人気ゲームに登場するキャラクターとしても活躍する長宗我部元親。彼の意外な幼少時代とその後の活躍ぶりのギャップは痛快です。高知市・鎮守の森公園には彼の初陣像がありますが、その勇壮な姿はファンの期待を裏切りません。

 

姫若子から鬼若子に

 

長宗我部元親は土佐の長宗我部氏21代当主。岡豊(おこう)城城主である国親(くにちか)の嫡男です。背が高く、色が白く、柔和で器量もすぐれているのですが、無口で軟弱な若者で、「姫若子(ひめわこ)」と揶揄されていました。

 

 

 

そんな性格のためか1560年の本山氏を相手とした長浜の戦いが22歳の遅い初陣となりました。しかも戦いの直前に家臣に槍の使い方を尋ねるほど頼りなかった元親。

 

 

 

ところが、50騎を従えた元親は猛然と槍を持って飛び込み、初陣で敵の城を乗っ取る武功まで挙げてしまいます。これ以降、元親は長宗我部家の跡取りとして広く認められることとなりました。姫若子から鬼若子への華麗なる転身です。

 

 

一領具足作戦で四国の覇者へ

 

多くの勢力がしのぎを削る土佐。元親の作戦は一領具足(いちりょうぐそく)を用いた戦力の増強による勢力拡大です。一領具足とは、ただ一領(ひと揃い)の具足(武器、鎧)だけを携えて戦う半農半兵の兵士のこと。農業で鍛えた身体と集団行動への適性の高さで戦う組織は、大名の武将集団とは別に進化した軍事制度でした。

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彼らの活躍で元親は次々と土佐の他家を制圧。1575年の四万十川の合戦で一条氏を撃破し土佐を統一しました。さらに四国の他のエリアへと侵攻。一度は信長に四国を狙われましたが、本能寺の変で信長が急死。それをチャンスに1585年には四国全土をほぼ統一することに成功しました。

 

 

 

屈辱の降伏で四国は秀吉のものに

 

しかし数週間後、今度は秀吉の10万の軍勢に四国を狙われ、抵抗を試みる元親でしたが降伏せざるを得ませんでした。苦労して四国統一を果たしただけに、土佐一国のみの安堵は受け入れがたいものでしたが、元親はやがて秀吉の人間性に感服し、忠実な家臣へと変わっていきました。そしてこののち1590年の小田原征伐、1592年の秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)にも従軍。

 

 

 

1599年、秀吉の死で不安な政情の中、関ヶ原の戦い前に伏見屋敷にて病没。享年61。

 

 

明石 白(あかし はく)

ライター

愛媛生まれ、大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。CM制作会社(大阪)、フリーライター兼イベントプランナー(大阪)、広告代理店(バンコク)、国際見本市出展関連の会社(ロンドン)などの仕事を通じてコピー、イベント台本、イベント企画などの経験あり。得意分野は日本史、文学、不思議系や海外ネタ。趣味は日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること、路上生活者や移民の観察そして空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。

 

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