一筋縄ではいかない武将たち ⑱ | あかねいろ01

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一筋縄ではいかない武将たち ⑱

2017/10/25
 
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夢と消えたキリシタンの理想郷づくり 大友宗麟(1530年-1587年)

 

 

大友宗麟は不思議なくらい戦における武勇伝が伝わらない人物です。一時は九州の6国を制覇したほどのキリシタン大名ですが、どうも武将としてもキリシタンとしても資質を疑いたくなってしまうような行状が伝わるばかり。一体どんな人生だったのでしょうか。

 

 

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家中の火種は全て宗麟から

 

宗麟は病弱のわりに、感状の起伏が激しく、家臣への思いやりに欠け、好色で理不尽な行動を取ってばかり。父親の義鑑(よしあき)もこれには手を焼き、家督は側室の子供である塩市丸という宗麟の異母弟に譲ろうと考えました。しかし、それが原因で家中に対立が起き、宗麟側家臣たちによって塩市丸、その母、義鑑が殺されます。義鑑は死の直前に宗麟に家督を譲ることを認め、1550年、21代目当主宗麟は誕生しました。

 

1551年に宗麟は山口にいたフランシスコ・ザビエルを豊後に招へい。交易が目的の宗麟はザビエルにキリスト教布教の許可を与えます。しかし、宗麟の家督の継ぎ方やこのキリスト教布教の許可が大友家家中の対立の火種となりました。

 

 

見せかけの繁栄

 

宗麟が当主となった後、大友家は九州地方での勢力を拡大していきます。これはひとえに優れた家臣たちの努力のおかげ。宗麟の周囲には立花道雪(たちばなどうせつ)、臼杵鑑速(うすきあきすみ)、高橋紹運(たかはしじょううん)など優秀、勇猛、誠実で一国の主になってもおかしくないほどの武将が揃っていたのです。

 

そんな幸運もありながら宗麟は諸外国との貿易で利益を上げます。

 

日本で初めての大砲を入手するなど、兵器の充実で戦闘能力をあげ、豊後、豊前、筑後、筑前へどんどん勢力を拡大します。

 

1554年には肥後も獲得。対外的には大友家の全盛期を創り上げることに成功しました。しかし、一方で宗麟は放蕩を繰り返し、大友家内部では家臣の謀反が起きるなど、決して安泰ではなかったのです。

 

 

理想の国の夢は破れ

 

そんな時、対策が手薄になっていた中国地方の毛利元就(もうりもとなり)がついに宗麟の弟大内義長(おおうちよしなが)に攻め込み、大内氏は滅亡。

 

1562年、そのまま北九州に進んできた毛利家との戦いに大友家も敗北。一度は和睦が成立しますが、のち毛利に破棄され、筑前への侵攻を許してしまいます。

 

妻子や領民たちを強制的にキリスト教に入信させ、九州をキリスト教の理想の王国にしようと考えていた宗麟ですが、1578年には島津軍にも大敗。優秀な重臣を多く失い、さらに多くの勢力が離反し、大友家は衰退に向かいます。

 

1586年、宗麟は大友家が秀吉の傘下に入ることを条件に秀吉の10万の軍勢で島津軍を撃破。しかし、宗麟は病に倒れ、島津義久(しまづよしひさ)が降伏する前に亡くなります。こうして宗麟のキリスト教の理想の国づくりの夢は消え去ってしまうのでした。

 

 

明石 白(あかし はく)

ライター

愛媛生まれ、大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。CM制作会社(大阪)、フリーライター兼イベントプランナー(大阪)、広告代理店(バンコク)、国際見本市出展関連の会社(ロンドン)などの仕事を通じてコピー、イベント台本、イベント企画などの経験あり。得意分野は日本史、文学、不思議系や海外ネタ。趣味は日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること、路上生活者や移民の観察そして空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。

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