一筋縄ではいかない武将たち⑲ 雑賀孫市について | あかねいろ01

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一筋縄ではいかない武将たち⑲ 雑賀孫市について

2017/12/03
 
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新兵器鉄砲を使いこなした男 雑賀孫市(1534年? -1589年?)

 

 

この人物、正確には武将ではないかもしれません。実は名前もはっきりしません。が、間違いなく実在し、きわめてユニークな存在でした。雑賀孫市(さいかまごいち)の「孫市」は雑賀衆・鈴木氏が代々継承する通称のため、同名の人物が複数存在しています。ここでは雑賀衆の戦いとして最も有名な「石山合戦」に登場する雑賀孫市に注目します。

 

 

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雑賀衆とは

 

紀伊雑賀衆は、和歌山平野を中心とした村落にあった地域組織。鉄砲という最新の武器を使いこなすプロの傭兵集団です。地の利を生かした林業、鉱業、漁業や貿易業と豊かな資金力で鉄砲の量産と火薬に必要な硝石を入手し、最新兵器の鉄砲部隊を売りに本願寺や三好氏、長宗我部氏などに雇われていたのです。孫市はその頭目でした。

 

雑賀孫市たちの戦い方

 

孫市は特に石山合戦という1570年から10年続いた戦いで活躍。貿易の要所であり、水害のない高台の石山の土地が必要だった織田信長が仕掛けた戦です。石山本願寺が、安芸の毛利輝元の協力でそれに対抗しました。

 

孫市は本願寺側の傭兵として鉄砲2000挺を扱う集団を率い、最新鋭の武器・鉄砲による一斉射撃や連続射撃という全く新しい攻撃法で参戦。

 

さらに囮の人形の使用、「土遁(どとん)の術」という誘い込んだ敵を周囲に巡らした迷路のような塹壕(ざんごう/溝を掘りその土を前に積み上げたもの)から移動しながら射撃するゲリラ戦法を用います。

 

雑賀の鉄砲衆による四方八方から飛んでくる鉄砲玉が信長方を恐怖の底にたたき落とし、海路の物資補給ルート封鎖を試みる織田軍を、雑賀の海賊衆が毛利の村上水軍と共に撃退。貿易に長けた雑賀衆は、海にも強かったのです。

 

陸と海で雑賀孫市と傭兵集団雑賀衆の底力を世間に広く認めさせた戦いでした。

 

 

消えた孫市

 

しかし、あるとき雑賀の者が信長に内通。

 

1577年、今度は本願寺ではなく雑賀を標的に信長が10万の軍勢を差し向けたのです。雑賀孫市と雑賀衆は必死の抵抗を試みますが、多勢に無勢。降伏せざるを得ませんでした。

 

信長と本願寺の和解後には傭兵というドライな雇用形態のためか、孫市は意外にも信長の四国攻めの船の調達など反信長派の追討に協力的でした。

 

そして、信長の死後、孫市の消息は途絶えてしまったのです。

 

その後、秀吉の全国統一に反抗した雑賀衆は最終的に滅亡。

 

しかし、そこに孫市の影はなく、消息は謎のまま。

 

ただ、一つ言えることは、雑賀孫市とその鉄砲衆との戦さの経験が、その後織田信長が鉄砲を合戦に活用することに繋がったということ。

 

つまり、雑賀孫市との鉄砲衆が戦国時代の戦い方を塗り替えた、それが孫市の遺産でしょうか。 

 

 

 

 

明石 白(あかし はく)

ライター

愛媛生まれ、大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。CM制作会社(大阪)、フリーライター兼イベントプランナー(大阪)、広告代理店(バンコク)、国際見本市出展関連の会社(ロンドン)などの仕事を通じてコピー、イベント台本、イベント企画などの経験あり。得意分野は日本史、文学、不思議系や海外ネタ。趣味は日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること、路上生活者や移民の観察そして空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。

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