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一筋縄ではいかない武将たち ⑳

2018/10/01
 
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前田家の家紋 

 

戦国時代の自由人 前田慶次(1533?-1605?年)

 

 

生没年も本名も諸説あり、逸話も後世の創作が多くて史実がはっきりしない人物です。正式な名前もはっきりしないのですが、ここでは漫画やゲームで知られる前田慶次(まえだけいじ)の名で統一して、義理の叔父前田利家に負けないトンデモ武将ぶりを見ていきましょう。

 

 

秀吉お墨付きのカブキ者

 

前田慶次は織田信長に仕える滝川家の出身ですが、前田利久(まえだとしひさ)の養子となりました。血は繋がっていませんがあのカブキ者・前田利家の義理の甥です。養父・利久の隠居で利久の弟である利家が尾張の荒子城を継ぎます。慶次は信長に5千石を与えられ大名に。本能寺の変で織田信長が亡くなると、そのまま利家の元で秀吉に仕えて小牧・長久手の戦いや小田原征伐で活躍します。幅広い趣味と教養で文武兼備の武将の鏡、と言いたいところですが、奇行と冗談でさすがの利家もはっきり言って持て余し気味。戦場で利家の影武者を務めていた時に、「我こそは利家が影武者」とわめき立て自分で暴露してしまい、大ひんしゅくを買ったりしたことも。そんな慶次は秀吉にその徹底したカブキ具合を認められ、秀吉から「好きなように傾(かぶ)くがよい」というお墨付きを貰ったそうです。後世、そのことを「傾奇(かぶき)御免状」と呼びました。

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勇猛果敢な自由人

 

養父前田利久が亡くなると、慶次は前田家と縁が無くなり、利家との仲違いもあって妻子を置いて前田家を出ます。実はその直前のある寒い日、彼はそれまでの行いを詫びて叔父の利家を招待し風呂を勧めておいて、なんと利家に氷のような水風呂へ入らせようと騙します。激怒した利家でしたがすでに慶次は利家の愛馬・松風を奪ってそのまま出奔したあとの祭。のち慶次は京都で浪人生活を送りながら茶人の古田織部(ふるたおりべ)や連歌師の里村紹巴(さとむらじょう)など多数の文人と交流しました。 

 

1598年ごろ上杉家に仕える友人直江兼次(なおえかねつぐ)のつてで上杉景勝に仕官。1600年の関ヶ原の戦いでは長谷堂城の戦いで自軍の退路を断たれ自刃しようとする直江兼次を止め、自らが殿(しんがり)となって奮戦。身を呈して敵を押し返し、その間に仲間の撤退を助ける活躍をします。西軍敗退により上杉家が減封され米沢に移されたのに従って米沢藩に仕え、その地で隠棲しました。文学以外に能楽、舞踊、将棋、囲碁などにも堪能だった慶次の知識とユーモアに溢れる話しには誰もが魅了されたといいます。老境に入ってもいたずら癖、奇行は収まらなかった相変わらずの慶次ですが、自由に生きた彼の生涯を羨んだ他の武将もいたのではないでしょうか。

 

 

 

明石 白(あかし はく)

ライター

愛媛生まれ、大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。CM制作会社(大阪)、フリーライター兼イベントプランナー(大阪)、広告代理店(バンコク)、国際見本市出展関連の会社(ロンドン)などの仕事を通じてコピー、イベント台本、イベント企画などの経験あり。得意分野は日本史、文学、不思議系や海外ネタ。趣味は日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること、路上生活者や移民の観察そして空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。

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