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一筋縄ではいかない武将たち㉓ 豊臣秀吉について

2018/10/01
 
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画像 豊臣秀吉像

 

 

 

 

 

 

農民から天下人へ転身した「戦国一の出世頭」とはこの豊臣秀吉のこと。さすがに秀吉の名前を知らない人はそういないでしょうが、「人たらし」と「機転」を武器に成り上がっていった凄まじすぎる秀吉の生涯を駆け足でおさらいしてみましょう。

 

画像 大阪城

 

 

織田家仕官から天下統一へ

 

尾張国の足軽の子とも農民の子とも言われ、父親は木下弥右衛門、母親はなか(のちの大政所)の下に生まれました。成人して木下藤吉郎秀吉と名乗ります。今川家に仕えた後、織田信長に小者として仕えました。清洲城の普請奉行、台所奉行など率先してこまめに働き、信長に「サル」「はげ鼠」と呼ばれながらも得意の人たらしで懐に入り込み可愛がられたといいます。有名なのは信長の草履取りをした時に冷えた草履を懐(もしくは背中)に入れて温めておいた逸話ですね。

 

 

1561年には織田家家臣浅野氏の娘ねねと結婚。美人でしっかり者の正室でした。秀吉はなかなかの女好きでしたが、基本はねねには頭のあがらない愛妻家であったようです。

 

 

1566年の岐阜攻略戦では墨俣(すのまた)に一晩で砦を築いた(墨俣一夜城)り、稲葉山城陥落に貢献。さらに、1570年浅井長政の裏切りによって信長が窮地に陥った際に殿(しんがり)を務めて信長を助けたことが大きな武功として認められました(金ヶ崎の退き口/かねがさきののきくち)。

 

 

1573年に浅井長政・朝倉義景(よしかげ)が信長に滅ぼされた後は、秀吉が長浜城主となって北近江を任ぜられます。信長の近畿地方制覇ののちは、中国遠征を命じられ、播磨、但馬、備前、美作を制します。三木城干殺し、鳥取城飢殺しなど兵糧攻めにして城を次々と落とし、毛利家に対しては備中高松城の水攻めを行い、陥落寸前にまで追い詰めます。

 

 

本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると素早く毛利と和睦を結び、「中国大返し」により備中からすぐに京へと戻り、山崎の戦いで光秀を撃破。信長の孫である三法師(織田秀信/おだひでのぶ)を擁し、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に勝利すると、信長の後継者となるのです。大坂城を築き、朝廷から太政大臣の官位と豊臣の姓を賜り、さらに関白となると、ついには日本全国の大名を臣従させる天下統一を果たしました。

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画像 伏見城

 

 

全国統一から死へ

 

天下統一後には太閤検地、刀狩令、惣無事令(そうぶじれい/秀吉が大名間の私闘を禁じた法令)、石高制などの政策を全国規模で進めました。全国をほぼまとめあげた秀吉は、大国明の征服を決意。まずは朝鮮出兵を行い(文禄・慶長の役)ますが、明や朝鮮の激しい抵抗にあって戦争は長引き、1598年、その最中に病没してしまうのです。享年62。

 

 

人間秀吉

 

信長の草履を温めた話し、墨俣の一夜城、石垣山一夜城など、本当にあったかどうか明確にわからないエピソードも多い秀吉ですが、それでも秀吉は実際に機知に富み、愛嬌のある性格だったのでしょう。

 

 

彼はスケールの大きい派手なことが大好きでした。北野大茶会や金の茶室、太陽をイメージしたというクジャクの羽のように広がった装飾の「一の谷馬藺兜(いちのたにまりんかぶと)」を使用するなど世間の評判になることを好んで行っていました。

 

 

自分が卑賤の出身であることを自覚していたからでしょうか、文学、能楽、有職故実、茶道、連歌、囲碁と熱心に学んだ努力の人でした。

 

画像 京都醍醐寺枝垂れ桜 豊臣秀吉

 

 

「つゆとおち つゆときえにし わがみかな 難波のことも ゆめの又ゆめ」

 

 

秀吉の辞世の句です。

 

 

「つゆのように生まれて消えていく私の生涯。大坂での生活も夢の中の夢のようだなあ」

 

 

なんだか、清廉ではかない辞世の句です。秀吉の生涯は濃く、激しく、そして欲にもまみれた強烈な生涯だったにちがいありませんが、これは彼の晩年の心境なのでしょうか。

 

 

明石 白(あかし はく)

ライター

愛媛生まれ、大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。CM制作会社(大阪)、フリーライター兼イベントプランナー(大阪)、広告代理店(バンコク)、国際見本市出展関連の会社(ロンドン)などの仕事を通じてコピー、イベント台本、イベント企画などの経験あり。得意分野は日本史、文学、不思議系や海外ネタ。趣味は日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること、路上生活者や移民の観察そして空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。

 

 

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