こんな事?あんな事?あなたにとってもしかしたら役に立つ事が見つかるかも?

【3分で学べる】戦国あれこれ④ 戦国武将の名言 その一

2018/10/01
 
この記事を書いている人 - WRITER -
【スポンサーリンク】

戦国武将の名言

 

戦国武将たちの人生は華やかな面もありましたが、同時に過酷でもありました。そんな生涯を生きた人物たちの言葉には重みがあります。いくつかご紹介しましょう。

 

 

武田信玄

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 あだは敵なり」(甲陽軍艦)

 

その意味は、「どんなに立派な城を築いても、そこに意味はない。領国の人々、家臣こそが城であり、石垣であり、堀である。国を守るのは人だ。情けを持ち、あだし心を捨て、人の和を大事にしなくては国家は保てない」というものです。信頼できる「人」の集まりは強固な「城」に匹敵すると考えていたわけです。人は情けをかけると味方になる一方、権力で押さえつけたり不信感を与えると必ず反発に合い、害意を抱くようになるのです。

 

この歌は「甲陽軍艦」と呼ばれる、甲斐国の戦国大名である武田氏の戦略・戦術を記した軍学書に書かれている古歌。わりと有名なので、知っておられる方もいるかもしれません。

 

これを証明するように、武田氏は城郭を持ちませんでした。信虎、信玄、勝頼と3代にわたって居城とした躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)はシンプルな作り。石垣や堀などは一切ありませんでした。人を頼みとした信玄にはそのような城の必要性を感じることがなかったのでしょう。

 

豊臣秀吉

「戦は六、七分の勝を十分となす」

 

城を攻めるとき、最後まで追い詰めるのではなく、一方だけ逃げ道を明けておくと敵も逃げやすく、その分早く勝利を得られるという意味。

 

本能寺の変で倒れた信長を継ぐようにして天下人への階段を駆け上った秀吉ですが、その方策や合戦の仕方などは主君の信長とは全く違っていました。

【スポンサーリンク】

1578年、秀吉は別所長治(べっしょながはる)の属城の一つである野口城を攻撃しました。城主の長井四郎左衛門の防戦はかなりものものでしたが、いよいよ秀吉軍が城内に突入するというときになって降参を申し入れました。秀吉側の将兵たちは、一挙に潰してしまえ、と息巻いていましたが、秀吉はその時に「戦は六、七分の勝を十分となす」と長井の降伏を受け入れたのでした。

つまり死ぬ覚悟で戦う人間は強くなり、敵をそういう状態に追い込んで戦えば味方に多くの死傷者を出してしまいます。合戦の仕方としては、それはまずいのです。敵に逃げ道をつくっておくことが、早く勝つ方法だと秀吉は説きました。また、役に立つ人間が降伏してきたなら、将来に備えて味方に加えた方が得策だとも。

1582年に信長が武田氏討伐の軍を起こしたときに、秀吉は中国攻めがあったために参加できませんでした。信長に追い詰められた武田勝頼が最後に自刃したという知らせを聞いた秀吉は「勝頼に甲州二州を与えて関東の先陣にしたら、東国の平定は思いのままだったというのに」と、自分が信長を諫めることができなかったことをのちのちまで残念がりました。

 

おわりに

今回は二つの名言を取り上げましたが、このどちらもどのように人に接するかということがテーマになっていました。一国の主、一軍の将ともなる人にはポリシーがあり、それが行動や発言に現れてくるものですね。

 

明石 白(あかし はく)

スペイン在住という効率の悪い日本史バカ。ライター。歴史記事とコマーシャル記事とかコピー書いてます。日本史を日常に。

明石 白(@akashihaku) Twitter  https://twitter.com/akashihaku

 

【スポンサーリンク】
この記事を書いている人 - WRITER -

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright© あかねいろ01 , 2018 All Rights Reserved.