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【3分で学べる】戦国あれこれ⑪ 家康の薬好き

2018/10/01
 
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家康の薬好きだった!

 

徳川家康(1543~1616年)は健康オタクで薬マニアだったということをご存知でしたか? 戦国時代の人々の平均寿命は約40歳。没年齢が75歳だった家康は、比較するとかなりの長寿ですが、それを支えたのは家康の健康であることへの執着だったのかもしれません。

 

 

健康でなければ天下を取れない!?

誰だって早死にしたいと思って生きていないでしょうが、家康には長寿にこだわる特別な理由がありました。それは「天下を取るため」。

 

 

関ヶ原の戦いで石田三成らが率いる西軍を撃破したのが59歳の時。平均寿命が40歳の時代にこの年齢は既に長寿の域。いつ死んでもおかしくなかったわけです。でも、家康は天下統一を目の前にして、このまま死ねない、と思ったことでしょう。彼にとって長生きすることこそ天下取りの必須条件でした。

 

家康の薬オタク度合い

1584年、家康は小牧・長久手の合戦の時に細菌感染による腫瘍の「癰(よう)」を患ったことがあります。貝で膿を絞り出しても治らず、弱っていたところ、家臣が持ってきた薬を塗ったらきれいに膿が出て治りました。まず彼はこんなきっかけで、薬の大切さを知ったのかもしれません。

 

 

薬のありがたさを知っても、家康は医者嫌いでした。中国の薬用植物の書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』を読破し、実に100種以上の薬を調合して、たいていの病は自分で治療してしまいました。駿府城在城時に薬草を栽培するために「駿府御薬園」を設立するほど。戦場にも自分で何でも治療しようと、中国の処方集『和剤局方(わざいきょくほう)』という書物を持ち歩いていたそうです。

 

 

59歳の時には、マラリア熱のような高熱に襲われましたが、家康は手製の薬で治してしまいます。自家製の薬にかなりの自信を持っていた家康は、名医を多く召し抱えていたわりには、侍医の話には耳を貸しませんでした。

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健康長寿の秘訣

食事が自分の健康に大きく関わることを知っていた家康は、好き嫌いせず、質素でバランスの良い献立を好みました。暴飲暴食を慎み、ふだんの食事は麦飯・納豆・野菜の煮付け・魚など。温かい物を食べ、季節外れのものには手を出さなかったそうです。

 

 

ところで、現在も薬用酒として知られる「養命酒」は、江戸幕府ができた年に家康に献上された品です。これを気に入った家康は、「天下御免万病養命酒」と許可し「飛龍」の絵の使用を許しました。これは日本で最も古い商標の一つとして今でも養命酒のパッケージやボトルに使用されています。

 

家康の死の原因は天ぷらの食べ過ぎ? 胃がん?

家康の死因は旧知の商人・茶屋四郎次郎が勧めてくれた鯛の天ぷらによる食中毒説もありますが、天ぷらを食べる以前から食欲が減退し、やせ気味になっていたことなどから、現在では胃がんだった可能性が高いと言われています。

 

 

家康は自分の胃の異常についてずっと「寸泊(すんぱく/サナダムシ)によるものと誤診し、「万病円」という自家製の腹痛薬を信じて飲み続けていました。侍医の片山相哲(かたやまそうてつ)が「積(せき/腹の中に塊ができる病)」と診断して、家康に「万病円」の服用を辞めるよう進言すると、流罪にしてしまったほど家康は聞く耳をもちませんでした。しかし、宗哲の診断は正しく、結局、家康は大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼした後、1年にも満たないうちに75歳で亡くなっています。

 

 

最後は自らの誤診でしたが、没年齢が75歳というのは当時としてはかなりの長寿の部類。それまでの節制生活が功を奏したのではないでしょうか。

 

 

明石 白(あかし はく)

スペイン在住という効率の悪い日本史バカ。ライター。歴史記事とコマーシャル記事とかコピー書いてます。日本史を日常に。

明石 白(@akashihaku) Twitter  https://twitter.com/akashihaku

 

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