こんな事?あんな事?あなたにとってもしかしたら役に立つ事が見つかるかも?

【3分で学べる】戦国あれこれ⑬ 花押とその効用

2018/10/01
 
この記事を書いている人 - WRITER -
【スポンサーリンク】

 

花押とその効用は・・・。

 

戦国武将たちが使っていた花押とは何か知っていますか? 武将だけではなく、貴族も使った絵や文書、手紙などに印すサインのこと。史料写真などで見た方もいるのではないでしょうか。

 

 

 

花押の起源

もともとは中国の晋(しん)の時代に生まれ、日本では平安時代から使われるようになった花押。貴族や武将などが書類は製作担当の者に書かせ、本人が最後に花押だけ記すというスタイルから定着していきました。室町時代がその使用の全盛期といわれています。

 

花押が意味するものは?

花押は人物の実名にもとづいて作成されています。姓名だったり、一部を取ったり、一文字だけを使ったりなど工夫を凝らして作られます。戦国時代には花押は人や家の運、不運を左右するとも考えられ、専門の花押所を設置してデザインを依頼するようにもなりました。

 

現代のサインと同様で、花押の目的は、本人と他人を区別すること。ですから、個人の花押は他の人には簡単には真似できない独自のデザインであることがポイントです。これがニセ文書防止にも役立ちました。

 

花押の様式も多様化します。やがて必ずしも実名をもとに花押が作成されなくなり、織田信長の「麟」字花押、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の「悉(しつ)」字花押、伊達政宗の鳥・鶺鴒(セキレイ)を図案化した花押など、が生まれてきました。家督を継いだ子が、父の花押を引き継ぐ例もあり、花押が個人のサインという役割だけでなく、地位も象徴するようになりました。

【スポンサーリンク】

 

 

花押で命拾いした武将・伊達政宗

伊達政宗の花押は現在確認されているだけでも30種以上あります。わざと多くの花押を使ったのは、政治的に、そして軍事的活動を有利にするためだったそうです。

1591年、大崎・葛西一揆が発生したとき、政宗は豊臣秀吉から謀反の疑いを掛けられたことがありました。政宗と確執のあった蒲生氏郷(がもううじさと)が秀吉に密告したのです。政宗は死を覚悟して秀吉に弁明しなければなりませんでした。

 

秀吉は謀反の証拠として政宗の命令書をみせたのですが、それを政宗は「偽物」だと見抜きます。政宗が公的な文書に用いるのは鳥のセキレイ形の花押でした。しかし、差し出された命令書には、必ず針を使って空けることにしてあった、セキレイの目の部分の穴がなかったのです。政宗はそれが偽物だということを見事証明してみせました。文書の花押に細心の注意を払っていた政宗は、そのおかげで命拾いしたわけです。

 

用意周到さについてはピカ一の徳川家康は、政宗の影響を受けて、花押を変えて用心したということです。

 

このように花押は権威を示すマークであり、偽文書防止策として役に立っていました。そして、現在でも文書の作成人物や真贋を見極めるための手掛かりにもなっています。

 

 

明石 白(あかし はく)

スペイン在住という効率の悪い日本史バカ。ライター。歴史記事とコマーシャル記事とかコピー書いてます。日本史を日常に。

明石 白(@akashihaku) Twitter  https://twitter.com/akashihaku

 

【スポンサーリンク】

 

この記事を書いている人 - WRITER -

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright© あかねいろ01 , 2018 All Rights Reserved.