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【3分で学べる】戦国あれこれ⑯ 家康の外人ブレーン

2018/10/01
 
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家康の外人ブレーン、ウイリアム・アダムス

 

 

戦国大名たちは厳しい世の中を渡っていくために、さまざまなブレーンを雇っていました。ブレーンたちは、それぞれの専門分野で戦国大名たちをバックアップしていきます。有名な例として秀吉に仕えた千利休が挙げられます。
そして、天下をまとめあげようとしていた徳川家康のブレーンの中には、日本人でない人物たちも活躍していたのです。

 

 

外交の専門家として
家康の時代になると、幕藩体制を整えるために、経済的、政治的、外交的な問題をそれぞれ解決するためのスタッフの増強が図られました。国内統一とともに外交政策も重要な課題だと考えた家康は、二人のヨーロッパ人を雇うことにしたのです。

ウイリアム・アダムス(1564年~1620年)

 

東洋探検船の航海長として大分に漂着した、イングランドのケント州出身の英国人です。海外に関心を持ち始めていた家康に、大坂城で謁見しました。家康は当初は彼を海賊だと思っていたとか。当初、アダムスは帰国を願い出ていたのですが、代わりに、家康は米や俸給を与えて彼を慰留しました。そしてアダムスは、同様に漂着したオランダ人のヤン・ヨーステンと共に外交顧問となりました。相模国三浦に250石を与えられて旗本となり、帯刀も許され、三浦按針(みうらあんじん)という日本名になって家康に仕えました。家康に国際情勢、西洋事情を教え、貿易を求めてくるスペイン船やイギリス船との交渉にあたったのです。

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ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(1556年?~1623年)

ウイリアム・アダムスと同時に大分に漂着したオランダ人航海士。日本ではヤン・ヨーステンとして知られていますが、それは名前で、姓はファン・ローデンステインです。
やはり家康に気に入られて、外交顧問として重用され、東南アジア方面での朱印船貿易に従事。オランダやイギリス商館の設立にも尽力しました。
家康からは江戸城の内堀内に屋敷を貰い、日本女性と結婚。日本名は、ヤン・ヨーステンが訛った「耶揚子(やようす)」です。これが「八代洲(やよす)」となり、「八重洲(やえす)」になったとされます。東京駅八重洲中央口近くの日本橋三丁目交差点の中央分離帯には「ヤン・ヨーステン記念碑」、八重洲の地下街にも外堀地下一番通りにも記念像と、八重洲周辺にはいくつか彼ゆかりのものがあります。

家康に信頼されて活躍したアダムスでしたが、家康亡き後は、徳川秀忠の幕府が鎖国体制を敷いたために、仕事は激減。結局不遇のまま1620年に平戸で亡くなりました。享年55。
また、ヤン・ヨーステンも1623年に東南アジア方面での仕事を終え、帰国しようとジャカルタに渡りましたが、うまくいかず、諦めて日本へ帰国する途中で船が座礁して溺死してしまいました。

おわりに

結局江戸時代に日本の交易や外交に尽力した家康のヨーロッパ人ブレーンの二人は、恋しい自国の地を踏むことなく異国の日本で亡くなってしまいました。しかし、彼らは間違いなく家康のために尽力したサムライブレーンたちでした。

 

明石 白(あかし はく)

スペイン在住という効率の悪い日本史バカ。ライター。歴史記事とコマーシャル記事とかコピー書いてます。日本史を日常に。

明石 白(@akashihaku) Twitter  https://twitter.com/akashihaku

 

 

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