【3分で学べる】戦国あれこれ⑰ 信長の趣味について

信長の趣味
戦国大名の中でも織田信長(1534年~1582年)が、目新しいことの大好きな好奇心旺盛な武将であったことは有名です。おもしろいこと、珍しいこと、誰も持っていない物などにためらわず手を出すところがありました。
いろんなことに熱心だった信長
うつけ者と言われてバカにされていた信長は、奇矯な格好をしたり、乱暴な振る舞いをしたりしましたが、若い頃から乗馬、鉄砲、弓、兵法、鷹狩り、水泳については熱心で、武将となるのに必要とされた資質を磨いていました。ただ、周囲の人間にはうつけ者のイメージが強すぎて、ただのエネルギーを持て余した乱暴者としか思われていなかったようです。
踊り好き
さて、そんな彼の大好きなことの一つに踊りがありました。
若いころからとにかく踊るのが大好き。
信長の踊りといえば、1560年の桶狭間の出陣の際に『敦盛』を舞ったことは有名です。「人間(じんかん)五十年、下天(げてん)のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり・・・」という節で有名な踊りですね。
しかし、彼が好きだったのはこのような上品な踊りだけじゃありません。自ら卑猥な歌を歌って家臣やもっといやしい身分の老若男女に交わって集団で乱舞することもあったとか。尾張領内の津島というところでよく派手に踊っていたそうで、これが「津島踊り」という盆踊りのきっかけとなったというほどです。
茶道具のコレクター
そして信長は茶道具の名物コレクターでもありました。茶道に造詣の深かった重臣・松井有閑(まついゆうかん)を使って国内の名物狩りが行われました。その中でも特に有名なのが今川氏真(うじざね)から献上された青磁「千鳥(ちどり)の香炉」やかつて足利義政の愛蔵品だった「三日月茶壺」です。
信長はこれらの名物を政治的な交渉にも利用しました。
しかし、この名物狩りで多くの人から恨みを買ったとも言われています。降伏の印として「九十九髪茄子(つくもがみなす)茶入」を差し出した松永久秀(まつながひさひで)は、その後も秘蔵品を巻き上げられ、ついに「平蜘蛛(ひらぐも)」の茶釜まで所望されたため、反旗を翻して籠城し自刃してしまったくらいです。
その他にも南蛮渡来の品々に興味を示し、黒いビロードの帽子、深紅のマントなどの衣裳類、鉄砲、そして安土城にも南蛮テイストを取り入れています。
信長の戦い方や人事についても厳しく徹底的だったイメージのある信長ですが、趣味の分野もどうやら徹底的だったようですね。
明石 白(あかし はく)
スペイン在住という効率の悪い日本史バカ。ライター。歴史記事とコマーシャル記事とかコピー書いてます。日本史を日常に。
明石 白(@akashihaku) Twitter https://twitter.com/akashihaku