【3分で学べる】戦国あれこれ⑲ 武将の影武者について | あかねいろ01

日常生活で役立ちそうな事や、興味がそそるようなさまざま事を集めました!

【3分で学べる】戦国あれこれ⑲ 武将の影武者について

 
この記事を書いている人 - WRITER -
Pocket

武将の影武者

 

明日の運命も予想できない戦国の世。些細な裏切りで命を落とさないよう、武将たちは敵を欺くために、自分とよく似た風貌や服装の人物を身代わりとしました。それらの人々のことを影武者といいます。

 

ここでは、戦国武将が用いた興味ある影武者についてご紹介しましょう。

 

 

スポンサーリンク



 

伊達政宗の影武者 田村御前

 

きりりとした顔立ちの田村御前は政宗の側室の一人でした。女性なんです! 馬の産地として知られる奥州の出身で、乗馬の名手。また、鉄砲隊も指揮していたというほどですから、武芸に長けた女性だったのでしょう。政宗が騎馬隊を率いて活躍したというのは、実は田村御前だったという話しがあります。

 

武田信玄の影武者 武田信廉(のぶかど)、穴山梅雪など

 

信玄は沢山の影武者を使ったと言われています。信廉(のぶかど)は信玄の二番目の弟でした。顔立ちや体型が信玄に似ていたため、影武者となりました。文武に優れた人物で、有名な川中島の一騎打ちは、実は信玄ではなく、信廉(のぶかど)だったという説も。信玄が駒場で死亡したときに、人々の目を欺いてごまかしの帰陣をしたのも信廉だと言われています。

 

その他、信玄に似ていた従兄弟の穴山梅雪、なりきるのが非常に上手かった小笠原源与斎なども影武者を務めたと言われます。影武者になるには、モノマネの才能も必要だったのかも。

 

 

真田幸村の影武者 穴山小助・根津甚八など

 

大坂夏の陣では、真田十勇士のメンバーとしても知られる穴山小助・根津甚八らを含む何人もの影武者たちが同じ赤い武具を着た「赤備え」の武者として「われこそは、幸村なり」と叫びながら合戦の中を突き進み、徳川勢を大いに混乱させたそうです。

 

前田利家の影武者 前田慶次

 

いたずら好きのうつけ者として知られた前田慶次は、戦場でもおかしなことをやらかしています。「われこそは利家が影武者!」と戦場で叫び、大ひんしゅく! 影武者が自分で影武者と名乗ったのでは意味がありません。これも彼特有の冗談だったのでしょうか。それにしても、生死をかける戦場では・・・。

 

 

浅野長政の影武者 浅野長重(ながしげ)

 

長重は、城攻めの時に、黒の大鎧をつけたままで城壁をよじ登り、一番槍を収めました。まさかその人物が影武者だったとは知らない敵は、大将の勢いに驚き、慌てて降参したといいます。

 

戦乱の世には色々な武将が影武者を立てて敵を欺き、命を繋いでいます。中には、影武者のおかげで武名を轟かせながらも、本人の実力だったのかどうか疑問の武将もいますが。

 

 

明石 白(あかし はく)

スペイン在住という効率の悪い日本史バカ。ライター。歴史記事とコマーシャル記事とかコピー書いてます。日本史を日常に。

明石 白(@akashihaku) Twitter  https://twitter.com/akashihaku

 

 

スポンサーリンク



 

 

スポンサーリンク



 

Pocket

この記事を書いている人 - WRITER -

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright© あかねいろ01 , 2018 All Rights Reserved.