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【3分で学べる】戦国あれこれ⑳ 要するに「川中島の戦い」って何?

2018/10/02
 
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要するに「川中島の戦い」って何?

 

有名なのに内容がよく分からない戦いというのが日本史上にいくつかあります。川中島の戦いもわかりにくい戦いのうちの一つです。12年間断続的に続いたこの戦いを簡単にまとめました。

 

 

 

川中島の戦い(1553年~1564年)

 

発端は、武田信玄の信濃攻めです。彼に領地を奪われた村上義清(よしきよ)、小笠原長時(おがさわらながとき)、高梨政頼(たかなしまさより)らが上杉謙信にヘルプを求めました。甲斐(山梨県)を抑える信玄に対し、ライバル謙信は越後(新潟県)が領地です。放っておけば信玄に北信濃を奪われ、越後の自領が危ないため兵を挙げました。12年間のうち戦いを交えたのは、5回のみ。一般に川中島の戦いと言われたのは、激戦だった第四次合戦のことです。

 

 

第一次合戦:布施の戦い(1553年)

 

上杉軍は村上義清の救援と武田軍の北上阻止の目的で軍を派遣。しかし、武田軍は塩田城にこもる村上勢を落とします。それに対して上杉軍は荒砥城を落とし、青柳城を攻めました。しかし、信玄が塩田城に籠もったので、それ以上は深追いせず、お互い様子見のような形で戦いはいったん終結しました。

 

 

第二次合戦犀川の戦い(1555年)

 

200日余りに及ぶ長期の戦いでした。1554年に、武田、今川、北条氏による三国同盟が締結されたことにより、武田氏は北条氏と共同で上杉氏に対決したのです。犀川(さいがわ)の南岸の大塚に陣取り、持久戦に持ち込もうとする信玄。一方、短期決戦を望む謙信。3ヶ月の睨み合いが続くと、上杉軍が動揺し始め、武田軍も兵糧の調達に苦しみ始めます。疲れ果てた両軍は、今川義元による調停で手を打ちました。

 

 

第三次合戦:上野原の戦い(1557年)

 

謙信の家臣であった大熊政秀が武田側に寝返り、調停が破れました。これは信玄の策略。その後、信玄による政秀を使った越後攻撃は失敗しますが、謙信方の葛山城を奪取します。激昂した謙信が信濃に出兵して上野原で合戦となるも、両軍とも大きな成果はなく、戦闘終了。

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第四次合戦:八幡原(はちまんばら)の戦い(1561年)

 

1561年、謙信は1万3千人の大部隊で妻女山(さいじょさん)に陣を構えました。1年前から川中島の要地に海津城を築いて上杉側を脅かす武田氏の目の前です。互いの拠点が相手側の領地に近く、相手を倒す以外逃げ道はない決死の対峙でした。

 

10日目に信玄は、軍師の山本勘助が提案した「啄木鳥(きつつき)作戦」を実行に移します。謙信のいる妻女山にまず夜討ちをかけ、下山してくる上杉軍を本隊が川中島で迎え撃つ作戦です。

 

しかし、その作戦は上杉側に読まれており、武田側が霧に紛れて上杉の陣を襲った時には、そこはもぬけの殻。朝霧が晴れると、上杉軍の1万兵が武田勢を襲い、ガタガタにします。信玄の弟信繁(のぶしげ)、諸角昌清(もろずみまさきよ)、山本勘助が戦死。

 

この時、謙信が長刀で信玄に斬りつけ、信玄が軍配で防いだという有名な一騎打ちがありました。しかし、フィクションではないかとも言われています。

 

その後武田の夜襲組が本隊に加わり、今度は武田軍が優勢になります。上杉方は善光寺方面へ敗走。これで、両軍合わせて死者負傷者が2万5千人にもなったと言われる八幡原の戦いが終わりました。結局、前半戦は上杉軍、後半戦が武田軍の勝ち、ということでこれも引き分け。

 

第五次合戦:塩崎の対陣(1564年)

 

1564年、上杉謙信は飛騨の三木氏の要請を受けて出陣しました。信玄が山県昌景(やまがたまさかげ)に飛騨を侵略させたのです。両軍は塩崎付近で対峙。ところが、信玄はもう北信濃を制していたので戦う気はありません。謙信も関東が気になり、それ以上軍を進めませんでした。互いを恐れ合って手出ししなかった、とも言われています。

 

おわりに

 

5回とも信玄の侵略がきっかけで始まったこの長い戦。謙信は、危機に立った武将の要請を受け、自分の領地の安泰を考えて出兵したというのが特徴です。

 

結局川中島は信玄のものになりましたが、多数の戦死者を出し、後味悪い結果です。

 

のち信玄は1573年に肺結核、そして謙信は1578年に脳卒中で亡くなりました。

 

両者が長く無駄な戦力を費やしているあいだ、着々と天下取りに向かっていた人物こそ、あの織田信長でした。

 

明石 白(あかし はく)

スペイン在住という効率の悪い日本史バカ。ライター。歴史記事とコマーシャル記事とかコピー書いてます。日本史を日常に。

明石 白(@akashihaku) Twitter  https://twitter.com/akashihaku

 

 

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