成人式はいつから行われたの?その始まりや本来の意味はどんなの?

目次
成人式は二十歳という節目をお祝いする成人の儀礼として大切な日とされていますが、昔から成人の儀礼は存在しています。
男子の成人の儀礼が行われるようになったのは奈良時代のことです。
「元服」と呼ばれる儀式で数え年で12歳から16歳の男子が氏神の前で大人が着る服装に改め、髪型も大人の髪型に結い直して冠をつけるのが成人の儀として行われました。
前髪を落としてマゲを結って大人になったことを祝う儀式で、大人の男性として扱われるようになり、結婚も認められるようになりました。
女子の成人の儀礼が行われるようになったのは平安時代のことです。
「裳着」と呼ばれる儀式で12歳から16歳の女子に初めて裳と呼ばれる腰下の着物を着せるものでした。
裳着は特に位の高い家柄の女性に対して行われていました。
一般階級の方は数え年18歳前後に行われていました。
女性は成人の儀礼が行われると子供から大人になったとみなされるようになり、結婚も認められます。
さらに、成人の儀礼の後は化粧をすることや眉を剃って書くことも認められます。
江戸時代以降は男性と同じように「元服」と呼ばれるようになりました。
昔は男女ともに二十歳を成人としてではなく、12歳から16歳といった若い年齢を成人とみなして、大人の髪型にして大人が着る衣服に着替えることが成人の仲間入りを意味して、成人の儀として行われていたのが分かります。
また、成人の儀は周囲に大人として認めてもらうという重要な意味を持っていました。
現在では成人式に参加しても、しなくても20歳の誕生日を迎えたら成人と自動的に扱われるので、成人の儀が存在していたころは成人として認めてもらうことは大変大きなことだったのも分かります。
今の成人式のルーツとなったのは1946年11月22日に埼玉県で行われた「青年祭」です。
埼玉県蕨市の青年団の団長が未来を担う若者たちに希望を持ってもらうことを目的として行われました。
青年祭の中に「成年式」というものがあり、この成年式が昔の成人の儀にあたるものであり、現在の成人式の始まりにもなっています。
蕨市には「成人式発祥の地」という石碑も立っています。
第二次世界大戦後に戦争に負けてしまい戦後苦しく厳しい世の中を生き抜かなければならない若者たち、戦争で心に深い傷を負ってしまった若者を励まし、希望を持って生きてもらうために埼玉県蕨市の青年団の団長が企画して行われた青年祭をきっかけとして、日本政府が青年が大人になったことを祝い、励まし、自覚させるイベントを作ろうと触発され「成人の日」が制定されました。
1948年の国民祝日法によって1月15日を成人の日としました。
大人になったことを自覚して自ら生き抜こうとする成人を祝い、励ますという意味が込められています。
大人になった自覚を持って日本を良い国にしていいって欲しいという願いによって成人の日は生まれたと言えます。
なぜ、1月15日を成人の日にしたのかは諸説ありますが、正月の終わりが1月15日だったこと、15歳で成人の儀である元服を行ったからと言われています。
現在は2000年に導入された「ハッピーマンデー制度」により1月の第2月曜日が成人の日となっています。
また、かつては前の年の成人の日からその年の成人の日までに誕生日を迎える人を成人式の参加対象となっていました。
成人の日以降に誕生日を迎える人達は同級生と一緒に成人式に参加できず、来年まで待つ必要がありました。
1学年下の人と一緒に成人式に参加しなくてはいけなく、同級生と会うことができない人もいました。
現在は学齢方式と呼ばれる前の年の4月2日からその年の4月1日に二十歳を迎える人を参加対象にしているので、成人の日まで20歳の成人を迎えていなくても、その年の4月1日に二十歳を迎える学年であれば参加でき、同級生と一緒に成人式に参加できるようになっています。
現在の成人式となったきっかけが一つの町で行われていた行事から始まっていることが分かります。
成人式の参加は自由意志に任されていますが、本来の意味は大人になったことを自覚して、自ら生き抜こうとする若者を祝い励ますというものです。
成人式で同級生との再会を楽しむだけでなく、成人式に参加することで大人の自覚を意識するきっかけとし、大人になるという節目と思うことで成人式に参加することが大きな意味をもつと言えます。
成人式は人生で一度きりの行事です。
成人の儀から始まり、子供から大人への階段をのぼり、これまで出来なかったことができるようになったり、またこれからの未来を担う人材として激励する意味として戦後間もない頃に埼玉県蕨市で開催された青年祭の中の成年式がきっかけで全国で成人を祝い激励する成人式が行われるようになり、成人の日も制定されました。
成人式は大人の仲間入りをするという意識を自覚させる場所で、奈良時代や平安時代から現在まで、形は違うものであっても子供から大人の仲間入りするということは重要な意味を持つものだと分かります。